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おもしろプロダクション

おもしろき こともなき世を おもしろく

休日と、見てはいけないもの。

日記

毎年のことながら12月はわりと忙しくて、数えてみたら5日から22日まで、18日連続で仕事をしていました。よく働いたなあ。連勤最後の22日は忘年会で、家に着いたのが夜中の3時、寝たのが4時だったこともあり、昨日(23日)は何度か目覚めはしたものの、結局夜の6時半までひたすら寝つづけました。こんなに寝たのも久しぶりだ。おかげで今日はすっかり元気です。

で、話は変わるのだけど、そして少し前のことなんだけど、家でひとりで仕事をしているときに宅急便が届きました。TSUTAYAって今は店まで行かなくてもレンタルができるんですね。便利な世の中。で、届いたのが奥さん宛の大量のマンガ。そういえば最近、奥さんはマンガにハマっているらしく、家にいるときはよくマンガを読んでいます。

「なに読んでんの?」と聞いても知らないタイトルばかりなのであまり気にしていなかったんだけど、何気なく届いたマンガのリストを見ていたら、タイトルの右にジャンルの欄があってですね、その中のひとつに思わず目が釘付けになりました。

 

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これって、世間でいうところの腐女子ってやつですよね。これを見たときは、ちょっと、いやかなりドキドキしました。まさか本人に尋ねるわけにもいかないし(誰にも触れられたくない秘密のひとつやふたつはあるだろうし)、かといって僕の小さな胸の中にしまっておくにはあまりに衝撃的なできごとだったので、ここにこっそりと記しておきます。

朝鮮学校のラグビー部員たちの思い出

日記

前々回は朝鮮学校の女の子の思い出を、前回は高校でラグビー部に入ったいきさつを書いたけど、今回はそのついでというか、そのつづき。

ラグビーという競技は日本ではそれほど競技人口が多くないスポーツのわりに、1試合15人の選手が必要な大所帯なスポーツです。しかもコンタクトが激しいから、試合中にケガ人が出ることもよくある。だから最低でも部員が20人くらいはいないと試合、ましてやグループ戦やトーナメント戦などの大会に出ることはむずかしい。

僕が入部した当初は1年生から3年生まで合わせて20人以上部員がいたからふつうに大会に出られていたけど、夏休みを迎えると3年生たちは受験勉強に備えて半分引退みたいな状態になる。いちおうラグビーの最後の大会はサッカーと同じで冬にあるんだけど、まあスポーツ推薦で大学に行くとかでもない限り、勉強しないでラグビー1本に絞るのはむずかしいよね。

そういう状態だから、一時的に大会に出られるメンバーが20人を下回ることも起こってくるわけで、そういうときはどうするかというと、ほかの高校との合同チームで大会に出ることになる。これはルールでもちゃんと認められている。で、僕たちの高校が組んだのが朝鮮学校だった。

朝鮮学校の生徒といっても、まあ当然といえば当然だけど、ふつうに話す分にはそのへんの高校生と変わらない。仲間内でも日本語で話しているし、その年代の高校生が見ているお笑い番組を見ているし、吉本ばりの寒いギャグを連発したりもする。騒がしくて馴れ馴れしい人もいれば、内気でおとなしくて礼儀正しい人もいる。何回か合同練習を重ねるうちに、友達とまでは言わないけれど、顔を合わせたら気軽に雑談を交わすようになった。

練習中はもちろんお互いに真剣で、紅白戦なんかではけっこう激しいコンタクトを繰り返していたし、身体の線が細い選手でも意外にパワーがあるなと思ったのを覚えている。

僕がいちばん驚いたのは、試合の日の彼らを見たときだった。なんというか、まず目つきが変わる。もちろん僕らを含めた全員が、試合開始が近づくにつれてアドレナリンが出てきて集中していくわけだけど、彼らの集中力は、もうひとつ目盛りが上という感じがした。僕たちはたぶん心のどこかで試合=ゲームという感覚があったのに対して、彼らからはゲームをするというよりは、ちょっと大げさにいえば命を懸ける決意のようなものをひしひしと感じた。試合が始まってもその集中力は途切れることなく、むしろ一層増していく感じで、声はより荒々しく、コンタクトはより激しくなっていった。

僕が覚えている試合では、僕たちのチームは言ってしまえば寄せ集め集団であり、戦前は不利が予想されていた。けれど、もうほとんど彼らのおかげなのだけど、予想を覆して試合に勝つことができた。たぶん相手チームの選手たちも、あまりの激しい気合いとコンタクトに面食らっていたのではないかと思う。試合が終わると、いつもどおりの陽気だったり寡黙だったりする彼らに戻っていたけれど。「身体中めっちゃ痛いわ」とか言って笑いかけてきたりして。

結局大会が終わった後その合同チームは解散したのだけど、僕は試合のときにだけ垣間見た彼らの固い決意のようなものを、今に至るまでずっと忘れられないでいる。それは日本の中ではマイノリティの彼らが持つ「民族意識」という言葉で簡単に片づけられるものではないような気もするが、はっきりしたことは僕にはよくわからない。

 

この話には後日談があって、それから5、6年後に彼らのうちの何人かと再会したことがある。僕が学生時代にバイトしていた飲食店で結婚式の二次会が開かれたときに、客として彼らが現れたのだ。新郎新婦が2人とも朝鮮学校の卒業生で、彼らは新郎の友人として会に出席していた。もうラグビーはやってないと言っていた彼らは、僕が知っている頃よりも身体に脂肪がついてふっくらしていたし、酒に酔って目は充血していたが、何かきっかけがあればスイッチが入ってまたあのときの姿に戻るんだろうかと、久しぶりに再会した彼らを見ながら、そんなことを思った。

僕がラグビー部に入った理由

日記

カフカの小説はよく「不条理」という言葉で言い表されるけど(朝起きたらベッドの中で大きな虫になっていたとか、目の前にある城にいつまで経っても入れないとか)、僕が高校でラグビー部に入ることになった理由というのも、「不条理」という表現がぴったりくるものだと思う。

僕は今でも痩せ型の体型なので、たまに「昔なんの部活してたと思う?」みたいな話題を振ったときは、たいていテニス部とか卓球部とか、なんとなくそういう部活だと言われることが多い。今までノーヒントでラグビー部と答えられた人はいない。そしてなぜか今でも覚えているのだけど、高校に入学したときの僕の身長と体重は167cm、50kgだったので、今よりもさらにヒョロヒョロのもやしっ子だった。そんな僕がなぜラグビー部に入ることになったのか。

僕は小3から中3までの7年間、平日も休日も関係なく野球漬けの毎日を送ってきたから、高校では部活はせず、のんびりバイトして彼女なんかつくって、チャラチャラ生きようと思っていた。思っていたのに、そんなささやかな夢と希望は入学初日に崩れ去った。

高校生活の1日目。

体育館で入学式が終わってから教室まで歩く道のあいだでは、大学のサークルの勧誘よろしく、先輩たちによる部活の勧誘が行なわれていた。なかでもひときわ目立っていたのはアメフト部だった。

僕の通っていた高校には京都でもめずらしいアメフト部があって、例の甲冑(っていうのかな)を着た先輩たちは、男子生徒を見かけては他の部活よりもひときわ強引な勧誘活動を仕掛けていた。そうこうするうちに僕もその甲冑軍団に取り囲まれ、勧誘(という名の脅迫または恫喝)を受けることになった。アメフト部は全国大会にも出場するくらいだったから、全員体が壁のように分厚い。そんなごつい先輩たちに囲まれたうえに逃げ道を塞がれ、なす術もなく半ベソをかいて立ちすくむ僕。観念してもう少しで入部を受け入れようとしていたそのときだった。救いの手が差し伸べられたのは。

甲冑軍団に比べると体がひと回り以上小さいお兄さん2人が、アメフト部員を押しのけて僕のところまでやってきて腕をつかみ、人懐っこい笑みを浮かべて「大変やったな、こっちに避難しよう」と言って、そこから救い出してくれたのだ。ごつい男たちのあいだをすり抜けるその敏捷さは、さながら忍者か闘牛士のようだった。僕は助かったという安堵の思いがあふれて一気に緊張が解け、なかば放心状態でお兄さんたちに連れられるがままその場を離れた。

しかし向かった先は教室ではなく、校舎の裏手にあるコンクリートの薄暗い建物だった。錆びた鉄の扉がならぶその建物まで連れてこられた僕は、疑問に思う間もないままに、ヘタクソな字で「プロレス部」と書かれた一室に通された。部屋に入ってまず最初に感じたのは、思春期の男特有のツンとくる汗と土と埃の混じった独特の匂いだった。そして切れかけの蛍光灯が灯す6畳ほどの狭苦しい部屋の真ん中には、机がひとつあって、その上に1枚の紙きれが置かれていた。

そこに来てようやく僕は騙されたことに気づき、後ろを振り返ったがもう手遅れだった。さっきまで人の良さそうな表情を浮かべていたお兄さんたちが扉の前に立ち、打って変わって冷酷な表情を浮かべてこちらを見返していた。そしてひとりが口を開いてこう言った。

「さ、そこの紙に名前書いてもらおか。書き終わるまでこの部屋から出さへんから」

こうして僕は震える手でラグビー部の入部届けに署名し(この話に唯一の救いがあるとすれば、そこがプロレス部ではなく、ただのプロレス好きの集まりだったことだ)、以後3年間、筋トレとプロテインが大好きなマッチョな男たちに囲まれて、かけがえのない青春を過ごすことになった。バイトとデートに明け暮れるという夢と希望は、永遠に叶えられることのないままに。たぶん僕が夢とか希望という言葉が嫌いなのは、この体験があるからだと思う。

朝鮮学校の女の子の思い出

日記 読書

中国行きのスロウ・ボート

村上春樹は短編「中国行きのスロウ・ボート」の中で、中国人の女の子との思い出を書いているが(まあ小説だけど)、僕もそれと似ていなくもないほろ苦い思い出を抱えている。前に何かをしなかった後悔は「可能性の貯金」として貯めこむことができると書いたけど、何かをしてしまった後悔というのは後々まで尾を引くことになる。中学生のときに、朝鮮学校の女の子とのあいだにあった出来事です。

たしか中学3年の夏休みだったと思うけど(例によって記憶は曖昧)、京都市内の中学生が学校の垣根を越えて集まる会みたいなのがあって、通っていた中学校の代表として、何人かの友達といっしょになぜか僕がその会に参加することになった。暇そうに見えたのかもしれないし、断らなさそうに見えたのかもしれない。

その会には京都市内の中学校の生徒に混じって朝鮮学校の生徒も何人かいた。男はほかの中学生と同じような制服を着ていたけど、女の子は民族衣装のチマチョゴリを着ていたので、すぐにわかった。今はたしか女の子も民族衣装は着ないよね。

で、その中にひとり、お人形さんのような(たとえが昭和)ものすごくかわいい女の子がいて、まあ見た目がタイプだっただけだけど、僕はその場でひと目惚れをしてしまった。しつこくたとえさせてもらうと、映画『パッチギ!』の沢尻エリカのような女の子でした。そういえばこの映画も京都が舞台でしたね。

というわけで、僕はなんとかその子と仲良くなろうと思って、いくつかのグループに分かれて話をする時間のときに、友達に頼みこんでグループを変わってもらい、その子と同じグループになった。話してみるとその子は学年はひとつ下で、性格も良くて(恋してるからね)、チマチョゴリも似合っていたし、はにかむように笑った顔もステキだった。書いてて恥ずかしくなってきた……。

朝鮮学校の女の子と世間知らずのアホな中学生のあいだにどんな共通の話題があったのか覚えてないけれど、グループのほかの生徒はほとんど無視して、僕はその子にばかり話しかけつづけた。

そのうちにグループの話題は学校の部活の話になり、それぞれがどんな部活に入っているかを発表しあうことになった。僕は当然、その子が発表したあと最初に意見を言えるように、あらかじめしゃべる内容を考えておいたのだけど、その発言をしてしまって以降、今まで5000回くらい後悔しているのだが、言ってはいけないことを言ってしまったんです。

僕はその子がバレーボール部とか放送部とか、どこの学校にでもある部活に入っているだろうと決めこんで、「あー○○さん、ぽいなあ。めっちゃ似合う!」みたいなことを言おうとしていたのだけど、その子は民族舞踊かなにか、朝鮮学校ならではの部活に入っていたのです。そして、僕はその発言の内容を頭で理解する前に「あー○○さん、ぽいなあ。めっちゃ似合う!」と言ってしまったのだ。まわりの生徒たちは僕の発言を聞いて笑っていたが、そのあいだその子は笑わずに、困ったような悲しそうな顔をしていた。それ以降なんとなく気まずくなってしまい、僕はそれ以上彼女に話しかけることができずに、そのまま集会は終わった。

中国行きのスロウ・ボート」ではこのような誤謬(過ち)は、結局は逆説的な欲望であるのかもしれないと書いているが、そうじゃなかったと信じたい。信じたいけど確信は持てない。小説では山手線の逆方向に乗せてしまった中国人の女の子を新宿駅のホームで待ってあやまることができたけど、中学生だった僕はどこで待てばその子ともう一度会えるのかわからなかった。以来、僕はその朝鮮学校の女の子に会っていない。

2種類の後悔について

日記 読書

人生には2種類の後悔がある。なにもコムズカシイ話ではなくて、単純に「何かをしてしまった後悔」と「何かをしなかった後悔」の2つですね。

前者は余計なことを言ったばかりに場を凍りつかせてしまったとか、感情の赴くままに自分勝手な行動をしてまわりから顰蹙(漢字がムズカシイ)を買ったとか、なんとなくその場の雰囲気で友達だった女の子と男女の関係になってしまったとか(経験ないけど)、そういうことです。

後者は反対に、いつか買おうと思っていた服がある日店に行ったら売り切れていたとか、就職活動を途中でやめて新卒で就職する機会を逃したとか、あのときもうちょっと強く押せばあの子とできたのに……とか、そういうことですね。たとえに品がなくてスミマセン。

内田樹は後者、つまり「何かをしなかった後悔」だけはしないでおこうと決めて、今まで生きてこられたみたいです。1970年の冬、銀座通りでデモに参加していた内田さん(当時20歳)は、背中を向けて道を塞いで立っていた機動隊の隊長のケツが、「国家権力」の象徴に見えたので思いっきり蹴飛ばしたことがあるそうです(何冊かの本によく出てくるエピソード)。そのあと追ってくる機動隊員たちからうまく逃げきることができたそうですが、そのときに「即断即決でケツを蹴った」ことで、今のような人間になったと書いていました。こういうのを江戸っ子というのかな、人生に迷いがなく勢いがあっていいですね。僕にはとても真似できない。

それとは反対に、村上春樹は後者を「可能性の貯金」と呼んでいて(どの本で読んだか忘れたけど)、「あのときああしていれば○○できたかもしれない」という「たら・れば」の可能性をいくつか貯めこんでおくと、それらは後々になって人の心を温めてくれる、というようなことを書いていました。

2人とも好きな作家ですが、この点については僕は村上春樹の考えに強いシンパシーを感じています。まあ、僕自身が「何かをしなかった後悔」をたくさん抱えこんでいるからなんですけど。

でもそういうふうに考えて毎日を過ごしていると、「後悔」ということをあんまりしなくなってきます。「ああ、タイミング逃した……」と思っても、「まあ可能性の貯金が増えたしいっか」と思って前向きになることができるから。「人としての成長」という観点ではどうなんだという意見もありそうですが、「人としての成熟」という点では、この考えはけっこうアリだと個人的には思っています。なにより落ちこむことが少なくなるし。

晴れ男と雨男の境界線を考える

野球

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晴れ男(女)と雨男(女)という言葉がある。僕はどちらかというと雨男です。

あらためて断るまでもないけれど、これは本人の能力ではなく性格の傾向の違いを表した言葉ですよね。まさかいい歳した大人が自分ひとりの力で天候を変えられると本気で思っていないだろうし(思ってないですよね?)、だから僕はこの手の話題になると、その人がどういう性格をした人なのかを知る判断材料にしている。

僕なりの解釈でいうと、晴れ男(女)というのは、晴れたこと(グッドニュース)を自分の手柄だと思い込み、雨男(女)というのは、雨が降ったこと(バッドニュース)を自分の責任だと思い込む人のことです。「責任感があるか」という尺度で見ると、晴れ男よりは雨男のほうが責任感が強いと言えるし、「物事を前向きにとらえることができるか」という尺度で見ると、雨男よりは晴れ男のほうが前向きにとらえる力が強いということになる。

 

ここでまた野球を例に出して申し訳ないが(何かと野球に例えたがるのが僕の悪いクセです)、この傾向というのは、プロ野球でどのチームのファンなのかによって違いが出てくるのではないかと思っている。

どういうことかというと、まあご想像のとおり、強いチームのファン(巨人とか、最近だとソフトバンクとか)には晴れ男(女)が多いように思うし、弱いチームのファン(我らがカープとか、パ・リーグだと楽天とか)には雨男(女)が多いように思う。僕より上の年代のカープファンに晴れ男、晴れ女がいらっしゃるのは、70年代中盤~80年代の黄金期を知っておられるからだろう。

シーズン中には毎日のように試合があるプロ野球は、当然ながら弱小チームのファンは楽しい日々よりはつらい日々を過ごすことのほうが多いし、なかには「チームが勝てないのは自分たちに気合いが足りないからだ!」とまで思い詰めるファンもいる(僕のまわりにも何人かいる。僕も少なからずその傾向はある)。こうなると、自分の力ではどうしようもないこと(=チームの勝敗)にまで責任を感じてしまい、一部のファンはより一層鬱々とした日々を過ごすことになる。そのようにして、人々はひとり、またひとりと雨男、雨女へと変貌を遂げるのだ。

 

ただ、今年は実に25年ぶりに(長かった……)カープが優勝を果たした記念すべきシーズンになった。シーズン終了時点で、勝ち数89から負け数52を引いた貯金は37。くやしい日々よりも、うれしい日々のほうが37回も多いシーズンなんて、過去にあっただろうか(いやない)。今年を機にカープに第2の黄金期がやってきて、広島をはじめとする全国のカープファンからひとりでも多くの晴れ男、晴れ女が誕生する日を、僕は楽しみに待ちたいと思う。自分も晴れ男に生まれ変われることを信じて。

右翼手の死/外野手の孤独

読書 野球

シカゴ育ち (白水Uブックス―海外小説の誘惑 (143))

スチュアート・ダイベックの『シカゴ育ち』という短編集の中に「右翼手の死」という話がある。少年たちが草野球をしていて、打球が何度もライト方向に飛んでいるのにボールが全然返ってこないので様子を見に行ってみたら、ライトを守っていた少年がその場で死んでいた、という話だ。奇妙な話ですね。奇妙な話だけど、最初に読んだとき、これは少年野球の外野手の位置づけをかなり的確に表しているなと思った。

 

僕は小学生の頃に地元の少年野球チームに入っていて、ポジションはセカンドかレフトを守ることが多かった。

セカンドを守っているときは、やることが多くてけっこう忙しい。キャッチャーがピッチャーにボールを投げ返すときはカバーに入らないといけないし、ランナーが出れば盗塁にも備えないといけないし、送りバントの対策も立てておかないといけない。ベンチから伝令が来るときはピッチャーマウンドに集まらないといけないし、そこで意味があったりなかったりする雑談にも参加しないといけない。なんというか、試合に参加している感じがすごくするのがピッチャー、キャッチャー、そして内野手というポジションなのです。

それに対して、センターを中心とする外野手というのは孤独なポジションだ。少年野球だとボールはめったに飛んでこないし(1試合に2、3回くらい)、ランナーが出てもやることは変わらない。伝令が出て内野手がマウンドに集まってもそれを遠くから眺めるだけだし、やたらとフォアボールの多い試合なんかだと(実際よくある)、もう完全に「心ここにあらず」状態になる。

そしてさらに少年野球だと、だだっ広いグラウンドの四隅でそれぞれ試合をしたりするから、後ろで行われている試合が気になって仕方ない。後ろの試合でバッターがボールを打つ音が聞こえると、そのたびにビクッと体を縮こまらせて、ボールがこちらに飛んでこないように祈らなくてはならない(さすがに試合から目を離すわけにはいかないから)。

ほかにも狭いグラウンドで同時に試合が行われているときは、外野を共同で使用することになるため、レフトを守っている僕のすぐ近くに別の試合のライトを守る選手がいたりして、お互いに目配せなんかして、なんとなく気まずい雰囲気になったりもする。目の前の試合に集中することなんて、とてもできない。

 

で、少しこじつけになるんだけど、子供の頃にどのポジションを守っていたかで、その人の性格がある程度まで形づくられるのではないかと思うことがある。実際、当時僕以外にセンターやライトを守っていたチームメイトを思い浮かべてみると、ほかのポジション(ピッチャー、キャッチャー、内野手)の選手に比べて、寡黙で、一匹狼という印象が強い。ポジションが性格を形づくるのか、あるいはその逆かはわからないけれど、少年野球の外野手というポジションは、孤独に耐える力を養ってくれるのではないかと、僕なんかは考えています。