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右翼手の死/外野手の孤独

シカゴ育ち (白水Uブックス―海外小説の誘惑 (143))

スチュアート・ダイベックの『シカゴ育ち』という短編集の中に「右翼手の死」という話がある。少年たちが草野球をしていて、打球が何度もライト方向に飛んでいるのにボールが全然返ってこないので様子を見に行ってみたら、ライトを守っていた少年がその場で死んでいた、という話だ。奇妙な話ですね。奇妙な話だけど、最初に読んだとき、これは少年野球の外野手の位置づけをかなり的確に表しているなと思った。

 

僕は小学生の頃に地元の少年野球チームに入っていて、ポジションはセカンドかレフトを守ることが多かった。

セカンドを守っているときは、やることが多くてけっこう忙しい。キャッチャーがピッチャーにボールを投げ返すときはカバーに入らないといけないし、ランナーが出れば盗塁にも備えないといけないし、送りバントの対策も立てておかないといけない。ベンチから伝令が来るときはピッチャーマウンドに集まらないといけないし、そこで意味があったりなかったりする雑談にも参加しないといけない。なんというか、試合に参加している感じがすごくするのがピッチャー、キャッチャー、そして内野手というポジションなのです。

それに対して、センターを中心とする外野手というのは孤独なポジションだ。少年野球だとボールはめったに飛んでこないし(1試合に2、3回くらい)、ランナーが出てもやることは変わらない。伝令が出て内野手がマウンドに集まってもそれを遠くから眺めるだけだし、やたらとフォアボールの多い試合なんかだと(実際よくある)、もう完全に「心ここにあらず」状態になる。

そしてさらに少年野球だと、だだっ広いグラウンドの四隅でそれぞれ試合をしたりするから、後ろで行われている試合が気になって仕方ない。後ろの試合でバッターがボールを打つ音が聞こえると、そのたびにビクッと体を縮こまらせて、ボールがこちらに飛んでこないように祈らなくてはならない(さすがに試合から目を離すわけにはいかないから)。

ほかにも狭いグラウンドで同時に試合が行われているときは、外野を共同で使用することになるため、レフトを守っている僕のすぐ近くに別の試合のライトを守る選手がいたりして、お互いに目配せなんかして、なんとなく気まずい雰囲気になったりもする。目の前の試合に集中することなんて、とてもできない。

 

で、少しこじつけになるんだけど、子供の頃にどのポジションを守っていたかで、その人の性格がある程度まで形づくられるのではないかと思うことがある。実際、当時僕以外にセンターやライトを守っていたチームメイトを思い浮かべてみると、ほかのポジション(ピッチャー、キャッチャー、内野手)の選手に比べて、寡黙で、一匹狼という印象が強い。ポジションが性格を形づくるのか、あるいはその逆かはわからないけれど、少年野球の外野手というポジションは、孤独に耐える力を養ってくれるのではないかと、僕なんかは考えています。

村上春樹の小説の主人公とスペンサーの共通点

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村上春樹の小説の主人公の特徴は、多くの人が想像できるところだと思う。

基本的にはフリーランスで仕事をしているか無職で、争いごとを好まず、ビールが好きで電車によく乗り、スパゲティーやサンドウィッチを作って食べ、外国の小説を読んで外国の映画を見て、主に古いジャズかクラシックを聴いて(たまにレディオヘッドスガシカオを聴いて)、男友達は少なく、女友達(もしくは恋人のような存在)が1人か2人いて、シャツには自分でアイロンをかけ、プールに通い、ごくたまにマクドナルドのビッグマックを食べる(「パン屋再襲撃」)。

 

対して、スペンサーという人物はあまり知られていないと思うので、こちらも説明しておくと、彼はロバート・B・パーカーというアメリカのハードボイルド作家の小説に登場する主人公です。かなり長いシリーズもので、合計40作もある。僕はこのスペンサー・シリーズを読むのをライフワークにしていて、年に1冊くらいのペースで読むことをずっと続けている。今でちょうど折り返し、20作目の『ペイパー・ドール』まで読み終わったところです。

スペンサーの見た目や経歴は、村上春樹の小説の主人公とはまったく似ていない。

ボストン在住の白人で、身長6フィート1インチ(185センチ)、体重200ポンド(91キロ)のがっしりした体格。元へヴィー級のプロボクサーで、鼻を何度も骨折したことがあり、その傷跡が今も残っている。朝鮮戦争にも出兵していた元軍人で、その後は検事局に勤めていたが上司とケンカして退職し、今は私立探偵を営んでいる。

ちなみにスペンサーのスペルはSpencerではなくSpenserで(cではなくs)、昔のイギリスの詩人と同じであることを誇りに思っているらしく、自己紹介のときにいちいちことわりを入れてくる。ファーストネームは明かされていない。

 

ということから、僕の中でこの2人(というのかな)は、わりと別人という位置づけで両方をそれぞれ楽しんでいたのだけど、あるときふと、もしかしてけっこう共通点があるんじゃない? と思ってちょっと考えてみた。するとけっこうありました。

まずスペンサーもビールが好きでよく飲む(まあアメリカ人なので)。実はけっこうインテリで、詩や小説もよく読む(『グレート・ギャツビー』を読むシーンが何度か出てきた)。毎朝ジョギングを欠かさず、ジムにも通っている(これは仕事柄、暴力で解決することも多いため)。友達はそれほど多くなく、仕事でパートナーを組んだりいっしょに食事をしたりするのは相棒のホークだけ(黒人で同じくマッチョ。スキンヘッドで、ピンクのスーツを着こなす謎のオシャレさん)。それも毎回出てくるわけではなく、ひとりで事件を解決することのほうが多い。あとはひとり暮らしをしていて、料理が好きで凝った料理をよく作る。いちおう決まった恋人に心理カウンセラーのスーザン(ユダヤ人)がいるが、彼女は料理が苦手なので、料理の担当はいつもスペンサー。でもいわゆるアメリカンフードも好きで、チーズバーガーやステーキもよく食べる。そしてスーザンという恋人がいるのに、毎回ではないが事件にかかわる女性といい感じになったりしちゃう……。

 

ほかにもまだありそうだけど、だいたいこんなところです。そして言うまでもなく、彼らの共通点は僕が理想とする男性像とかなりのところまで重なっている。もちろん偶然でもなんでもなく、僕が彼らから影響を受けているだけなんですけど。

これはこれでなかなか問題がありそうな人物造形だけど、村上龍の小説に出てくる人たち(ドラッグをキメたり高級コールガールを何人も囲ったり)に影響を受けるよりはマシだよな、と自分を慰めてみたりする今日この頃です。

好きなCM

最近のCMより、小さい頃に見たCMのほうがよく覚えていたりする。でもこれは何も昔のCMのほうが質が高かったというわけではなくて(アイデアはシンプルで良かったかもしれないけど)、単純に今より昔のほうが感受性が強かったし、テレビを見る時間も長かったし、ビデオもなかったのでCMを飛ばすことができなかったという理由によるものだと思う。その中でも、今でも強烈に印象に残っているCMが3つある。

 


なつかCM ねるねるねるね バナナチョコ味→フルーツ牛乳味

保育園に通っていた頃にこのCMを見て、スーパーで母親に何度もしつこくねだって買ってもらった記憶がある。視聴者の購買意欲をかきたてるという意味では、このCMがいちばん成功している。

 


ピップだだん 1991

今になって見返すまで何のCMか知らなかったもの。キャラクターの印象が強すぎて商品が頭に入ってこないという意味では、これは失敗の部類に入るのだろうか。

 


マルマン 禁煙用パイポ CF(30秒Ver.)

これは単純にオチがおもしろかったもの。僕の通っていた小学校でこのCMのモノマネが流行っていた。当然、先生には「やめなさい!」と怒られた。

 

最後にこれは外国のCMなのでテレビで見たわけではないが、何年か前にカンヌで賞をとったもの(映画じゃなくて広告のほう)。

 


Epuron AD Japanese

僕はこのCMが好きで、たまに見返している。そしてそのたびに「こういうのを自分でも作りたいなあ」と思う。これは広告に限った話ではなく、映画や音楽や小説も含めていくつかあるうちのお手本のひとつとして、僕は何かを書いたり考えたりするときに、このCMをひとつのメルクマール(指標)としてとらえている。

悪の帝国は強くなければならない

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最初に謝っておきます。巨人ファンの人、ごめんなさい。

カープが優勝する前に書いたものですが、せっかくなので(今さら)アップします。

 

これを書いている時点で(9月4日)、カープの優勝マジックは4まで減った。マジック20が点灯したのが8月24日だから、わずか11日間で16も減らしたことになる。カープファンとしてはもちろんうれしいことなんだけど、贅沢を言わせてもらえれば、「正直、もう少しゆっくり減ってほしい」という気持ちもある。

なんせ1991年以来、実に25年ぶりの優勝である。このペースで行くと(考えるだけで恐ろしいが)、次に優勝するのは2041年ということになる。そのとき僕は61歳になっているので、かろうじて生きているとしても、その次となるともう怪しい。

ということは、悲観的に考えると(弱小チームのファンは人生を悲観的に考えるクセが染みついている)、今年を含めて残りの人生で2回しか優勝しないうちの1回なのだ。優勝までカウントダウンに入ったこの高揚感がもっと長く続いてほしいと思うのは、それほど贅沢なことだろうか? こちらとしては、1回の優勝を来年以降もスルメを噛み締めるように、しばらく楽しむ心の準備はできているのだ。

 

そこで不満の矛先は、あの「悪の帝国」に向かう。

マジックが1つ減るためには、1位のチーム(=カープ)が勝つか、マジックの対象チーム(=多くが2位のチーム、今年は巨人)が負けるかの2つのパターンがある。カープが勝って巨人が負けると、マジックは一気に2つ減る。

マジック点灯以降の両チームの成績はこうなっている(いずれも9月4日時点)。

カープ    8勝2敗
ジャイアンツ 1勝8敗

 

いや巨人さんよ、いくらなんでも負けすぎじゃね? おたくら2位だよね? 一応カープの次に強いことになってるチームだよね? だったら3位以下のチームに最低半分は勝てよ。いいカモにされてんじゃねえよ。覇気出せよ! 覇気を!

 

……すみません、興奮してしまいました。でもこうして改めて見てみると、巨人の失速ぶりが顕著ですね。

いくら優勝までの時間を少しでも引き延ばしたいといっても、カープが負けてうれしいことはない。というか悔しい。できれば毎試合勝ってほしい。だから我々カープファンの理想は、カープが勝って、巨人も勝つこと。そしてマジックを1つずつ減らしていき、最後はカープが勝って優勝を決めること。25年ぶりなんだから、これくらい望んでもバチは当たらないでしょ。

まさか自分の人生で「巨人に勝ってほしい」と思う日が来るなんて想像もしなかったが、やはり「悪の帝国」はいつの時代も強くなければならない。だって、強大な悪の帝国(Evil Empire)を倒す小さな王国(Small Kingdom)の物語を、みんなは望んでいるのだから。

人からプレゼントされて困るものベスト3

さむがりやのサンタ (世界傑作絵本シリーズ―イギリスの絵本)

人からプレゼントされて困るものベスト3というのを考えたことがあるだろうか? 僕の場合はこんな感じです。

第1位 本
第2位 服
第3位 観葉植物

 

3位の観葉植物からいくと、これは理由は簡単で、面倒くさいからだ。毎日水をやったり日の当たる時間にはベランダに出したり、けっこう手間がかかる。そのわりに存在意義がよくわからない。眺めていてもとくに心楽しいものでもないし。よく「部屋に緑があるといい」みたいなことが言われるけど、それは人それぞれじゃないか。べつに部屋にマイナスイオンが充満していなくたって僕はちっともかまわない。

 

2位は服。これも理由ははっきりしていて、自分で選んだ服しか着たくないから。といっても僕はオシャレではなく、年中Tシャツとジーンズで過ごせればいいと思っているくらいなので、毎日同じような服しか着ていない。けど、ひとくちにTシャツといってもやっぱり自分の好みのものとそうでないものがある。しかもそこに傾向があるわけではなくてあくまで見た目の直感だから、人に説明するのはむずかしい。まあでも、Tシャツくらいならサイズが合ってたらべつに嫌じゃないかも。というか、プレゼントでもらったTシャツもふつうに着てるな。あ、あと靴下とかの小物はプレゼントされたらうれしいなあ。……なんだかよくわからなくなってきたので次に行きます。

 

1位は本ですね。これはダントツでプレゼントされると困るものです。これも面倒くさい話なんだけど、僕は読む本にも自分なりのルールがいくつかあるので(これはまたどこかで書きたい)、そのルールから外れたものをもらうとすごく困る。かといってプレゼントされた本を読まないわけにもいかないし(感想も言わなくちゃいけないし)、読みだすと時間もかかるので、けっこうストレスになってしまう。これは同意してくれる人が多いと思うんだけど、どうなんでしょう。

 

とここまで書いておきつつ、僕が人にプレゼントするものでいちばん多いのは実は本だったりする。言ってることがめちゃくちゃですね。「自分がされて嫌なことは人にしない」というのは社会のルールのはずなのに。でも僕なりに決めていることがひとつあって、それは「読むのに時間がかからないこと」です。そうなると選択肢は絞られてきて、まあ写真集と絵本の2択ですね。その中でも僕がプレゼントに選ぶのは自分が好きな絵本です。僕はそんなに熱心に絵本を読むタイプではないので、だいたい好きな作家(レイモンド・ブリッグズエドワード・ゴーリー)のものになるけれど。あとは本屋で立ち読みして気に入った絵本があるとプレゼント用に買っておいたりする。そういう意味では、京都でいう恵文社みたいな気の利いたセレクトがされている本屋が近くにひとつふたつあると、新しいプレゼント用の本が見つかりやすくていいですね。

 

今週のお題「プレゼントしたい本」

美しき仁義なき戦い

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ものごとには適量というものがある。あるのだけど、世の中には適量をはるかに超えて存在するものもある。

 

ということで、今日は引越してきた当初からずっと気になっていた、うちのまわりにある美容室の話です。

僕が今住んでいる家の最寄り駅は、映画『阪急電車』の舞台にもなっている片道15分の阪急今津線のひとつなのだけど、このエリアがものすごい「美容室激戦区」なんです。

どれくらい多いかというと、駅周辺にコンビニが3軒あるのに対して(これでも多いと思うけど)、美容室は駅から徒歩5分圏内に33軒もある。実に11倍である。もしかしたら1つ2つ見落としているかもしれないが、このあいだ散歩のついでに数えてきたのでだいたい合っていると思う(ひまなんです)。

うちのマンションのとなりも美容室だし、マンションから駅までの片道3分の道のりにコンビニは1つしかないのに、美容室は6つもある。いくらなんでもこれは異常だ。みんなはフレーバーな水やカロリーメイトを買う感覚で美容室に行くのだろうか。

しかも去年から今年にかけて、僕が把握しているだけで駅周辺に新しく3軒がオープンしている。さらに不思議なことに、潰れたところは1つもない。駅前に1つしかない本屋は閉店したのに……。

 

とはいえ、美容室ごとに店構えや料金設定で、ある程度の棲み分けはされているようだ。僕が見たところ、大きく4つに分類できる。

1)オシャレ志向の主婦やサラリーマンをターゲットにしているカット5000円~の高級店
2)中高生などヤング向けのカット2000円~の低価格帯の店
3)その中間くらいのカット4000円前後の店(僕が行くのはココ)
4)いかにもパーマネントに一家言ありそうなマダム御用達といった感じの店(上の写真参照)

あと今回全体の数には入れていないけど、世のオジサンたちが通うトリコロールカラーの柱が目印の理容室も4軒ある(こっちもコンビニより多い)。

 

僕個人でいうと、我慢できなくなるまで髪の毛を伸ばしてからバッサリ切ることにエクスタシーを感じるタイプなので、3、4カ月に1回しか美容室に行かないけれど、まあ月に1回行く人がいるというのは理解できる。しかも女性(や意識の高い男性)の場合はカットだけじゃなくてカラーをしたりパーマをかけたりトリートメントをしてキューティクルを保ったりという努力が必要なのもわかる。

わかるけど、それにしても33軒は多すぎる。しかも梅田とか三宮じゃなく、いち地方都市のローカル線の駅周辺にこれだけ密集しているのはどういうことなんだろう? 次に美容室に行ったときに、担当のお兄さんにそのへんの事情を訊いてみようと思う。

遅読の言い訳

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「速読」っていう言葉がありますよね。本を速く読めること。速読関連の本も何冊か出ている。僕はそれとは逆の「遅読(ちどく)」タイプの人間です。今日はその話。ちなみに僕の使っているパソコンでは「速読」は一発で変換されたけど、「遅読」は変換されませんでした。あんまり一般的ではない言葉なんですね。

 

僕は読書を習慣にしているわりには、本を読むスピードがすごく遅い。これは昔、大学生の頃に何人かの友達に「おっそ!」と言われたことがあって、それで気がついた(昔は誰かといっしょにいても、場の空気を読まず平気で本を読める若者だった)。そのことがわりと気になっていて、今でもたまに電車でとなりの人が本を読んでいると、どれくらいのペースでページをめくるのか、こっそり観察することがある。

このまえ阪急電車に乗っていたときに、となりの席でカズオ・イシグロの『わたしを離さないで』の文庫本を読んでいる女性がいたのでしばらく観察していたら、だいたい20秒から30秒くらいの間隔でページをめくっていて、すごく驚いた。いったいこの人の情報処理能力はどうなっているんだと。

 

ほかの人もたぶんそうじゃないかと思うんだけど、僕は小説を読むときは頭の中でシーンを思い浮かべながら読み進めていく。そうすると僕の場合、どうしてもゆっくりしゃべる人のところはゆっくり読んでしまうし、情景を描写しているところはひとつひとつ想像しながら読むので、とても速くは読めない。

もしかしたら「痛快ノンストップ活劇」みたいなジャンルだったら速く読めるのかもしれないけど(どんな本だろ)、たとえばさっきのカズオ・イシグロ夏目漱石みたいなタイプの小説は、登場人物の語り口もゆっくりだし、目まぐるしく話が展開するわけでもないので、どうしてもそれに合わせてタラタラと読み進めることになってしまう。

まあ本を読むスピードが遅くても、誰にも(自分も含めて)迷惑をかけるわけでもないからいいんだけど、それでもときどき、速く読める人の頭の中はどうなっているんだろうと思うことがある。思うだけで何もしない。だからいつまで経っても謎は解けない。

 

と書いているうちに思い出したんだけど、昔学校の国語のテストのときに、みんながまだ長文を読み終わらないうちに、コリコリと解答を書き始める人がいた。そういう人が何人か出てくると、まだ長文を3分の2くらいしか読み終わっていない僕はまわりが気になってしまい、すごくあせった記憶がある。

でもそういう人たち全員がテストの点数がいいかというと、どうもそういうわけでもないみたいだったから、「本を読むのが速い=要領がいい(要点をつかむのがうまい)」という図式は単純には成り立たないみたいだ。べつにそれで自分を慰めるつもりはないけれど。