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おもしろプロダクション

おもしろき こともなき世を おもしろく

同志社大学の屋上で凧揚げ

日記

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今は同志社大学の寒梅館というレストランなどが入っている校舎の裏手に、小学校に入る前まで住んでいた。京都によくある細い路地の中に何軒も家が並んでいるうちの1軒で、路地のほかの家には親戚たちが住んでいた。

妹が生まれる前で僕はまだひとりっ子だったが、その路地に全部で6人いた従兄弟たちの中ではいちばん年下だったので、彼ら/彼女らの弟分的なポジションで、よくかわいがられたりいじめられたりしていた。小学生だったお兄さんの友達に混じってラジコンやファミコンをしたり(見てるだけ)、プラモデルの戦車を作ったり、お姉さんたちに混じってシルバニアファミリードンジャラで遊んだり……。

みんなで近所を散歩するときは、同志社大学のテニスコートのまわりを歩くのが定番コースだった。道路わきの溝などに毎回かならず3、4個はテニスボールが落ちていたので、それを拾い集めて遊び道具にしていたのだ。

 

あと、近くに公園もあったが、やっぱり入ったらいけない場所に入るのが子供は大好きなので、同志社大学の校舎にもよく忍び込んで、かくれんぼなどをしていた。

今でこそ寒梅館はオシャレな建物になっているが、前の建物はかなり古びた学生会館で、たしかクラブやサークルの部室が入っていた。リノリウムの廊下はいつも薄暗くて、壁は貼り紙や立て看板で埋め尽くされていた。学生会館にいた大学生は総じて僕たち子供には無関心で、廊下をコソコソ走り回っていても、誰にも話しかけられたり怒られたりした記憶がない。

 

正月になると、従兄弟たちみんなで学生会館の屋上に登って凧揚げをするのが恒例行事だった。5階建てくらいだったと思うけど、あの辺りでは同志社大学の校舎がいちばん高い建物だったので、屋上に登るとまわりの景色を一望できた。

真冬の屋上は風が強くて寒かったけど(そのことでお姉さんたちはいつも文句を言っていたけど)、見上げると空以外に何もない空間に浮かぶ凧は、いつも気持ちよさそうに揺れていた。

 

当時住んでいた家も同志社大学のオンボロの学生会館も今はもうないけれど、少し記憶をたどれば、僕はいつでもその時代のその場所に戻ることができる。こうしたささやかな記憶をずっと忘れないでいること、言葉にして残しておくこと、そのために僕はこうして意味のない文章をいくつも書きつづけているのだと思う。