おもしろプロダクション

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2種類の後悔について

人生には2種類の後悔がある。なにもコムズカシイ話ではなくて、単純に「何かをしてしまった後悔」と「何かをしなかった後悔」の2つですね。

前者は余計なことを言ったばかりに場を凍りつかせてしまったとか、感情の赴くままに自分勝手な行動をしてまわりから顰蹙(漢字がムズカシイ)を買ったとか、なんとなくその場の雰囲気で友達だった女の子と男女の関係になってしまったとか(経験ないけど)、そういうことです。

後者は反対に、いつか買おうと思っていた服がある日店に行ったら売り切れていたとか、就職活動を途中でやめて新卒で就職する機会を逃したとか、あのときもうちょっと強く押せばあの子とできたのに……とか、そういうことですね。たとえに品がなくてスミマセン。

内田樹は後者、つまり「何かをしなかった後悔」だけはしないでおこうと決めて、今まで生きてこられたみたいです。1970年の冬、銀座通りでデモに参加していた内田さん(当時20歳)は、背中を向けて道を塞いで立っていた機動隊の隊長のケツが、「国家権力」の象徴に見えたので思いっきり蹴飛ばしたことがあるそうです(何冊かの本によく出てくるエピソード)。そのあと追ってくる機動隊員たちからうまく逃げきることができたそうですが、そのときに「即断即決でケツを蹴った」ことで、今のような人間になったと書いていました。こういうのを江戸っ子というのかな、人生に迷いがなく勢いがあっていいですね。僕にはとても真似できない。

それとは反対に、村上春樹は後者を「可能性の貯金」と呼んでいて(どの本で読んだか忘れたけど)、「あのときああしていれば○○できたかもしれない」という「たら・れば」の可能性をいくつか貯めこんでおくと、それらは後々になって人の心を温めてくれる、というようなことを書いていました。

2人とも好きな作家ですが、この点については僕は村上春樹の考えに強いシンパシーを感じています。まあ、僕自身が「何かをしなかった後悔」をたくさん抱えこんでいるからなんですけど。

でもそういうふうに考えて毎日を過ごしていると、「後悔」ということをあんまりしなくなってきます。「ああ、タイミング逃した……」と思っても、「まあ可能性の貯金が増えたしいっか」と思って前向きになることができるから。「人としての成長」という観点ではどうなんだという意見もありそうですが、「人としての成熟」という点では、この考えはけっこうアリだと個人的には思っています。なにより落ちこむことが少なくなるし。