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朝鮮学校のラグビー部員たちの思い出

前々回は朝鮮学校の女の子の思い出を、前回は高校でラグビー部に入ったいきさつを書いたけど、今回はそのついでというか、そのつづき。

ラグビーという競技は日本ではそれほど競技人口が多くないスポーツのわりに、1試合15人の選手が必要な大所帯なスポーツです。しかもコンタクトが激しいから、試合中にケガ人が出ることもよくある。だから最低でも部員が20人くらいはいないと試合、ましてやグループ戦やトーナメント戦などの大会に出ることはむずかしい。

僕が入部した当初は1年生から3年生まで合わせて20人以上部員がいたからふつうに大会に出られていたけど、夏休みを迎えると3年生たちは受験勉強に備えて半分引退みたいな状態になる。いちおうラグビーの最後の大会はサッカーと同じで冬にあるんだけど、まあスポーツ推薦で大学に行くとかでもない限り、勉強しないでラグビー1本に絞るのはむずかしいよね。

そういう状態だから、一時的に大会に出られるメンバーが20人を下回ることも起こってくるわけで、そういうときはどうするかというと、ほかの高校との合同チームで大会に出ることになる。これはルールでもちゃんと認められている。で、僕たちの高校が組んだのが朝鮮学校だった。

朝鮮学校の生徒といっても、まあ当然といえば当然だけど、ふつうに話す分にはそのへんの高校生と変わらない。仲間内でも日本語で話しているし、その年代の高校生が見ているお笑い番組を見ているし、吉本ばりの寒いギャグを連発したりもする。騒がしくて馴れ馴れしい人もいれば、内気でおとなしくて礼儀正しい人もいる。何回か合同練習を重ねるうちに、友達とまでは言わないけれど、顔を合わせたら気軽に雑談を交わすようになった。

練習中はもちろんお互いに真剣で、紅白戦なんかではけっこう激しいコンタクトを繰り返していたし、身体の線が細い選手でも意外にパワーがあるなと思ったのを覚えている。

僕がいちばん驚いたのは、試合の日の彼らを見たときだった。なんというか、まず目つきが変わる。もちろん僕らを含めた全員が、試合開始が近づくにつれてアドレナリンが出てきて集中していくわけだけど、彼らの集中力は、もうひとつ目盛りが上という感じがした。僕たちはたぶん心のどこかで試合=ゲームという感覚があったのに対して、彼らからはゲームをするというよりは、ちょっと大げさにいえば命を懸ける決意のようなものをひしひしと感じた。試合が始まってもその集中力は途切れることなく、むしろ一層増していく感じで、声はより荒々しく、コンタクトはより激しくなっていった。

僕が覚えている試合では、僕たちのチームは言ってしまえば寄せ集め集団であり、戦前は不利が予想されていた。けれど、もうほとんど彼らのおかげなのだけど、予想を覆して試合に勝つことができた。たぶん相手チームの選手たちも、あまりの激しい気合いとコンタクトに面食らっていたのではないかと思う。試合が終わると、いつもどおりの陽気だったり寡黙だったりする彼らに戻っていたけれど。「身体中めっちゃ痛いわ」とか言って笑いかけてきたりして。

結局大会が終わった後その合同チームは解散したのだけど、僕は試合のときにだけ垣間見た彼らの固い決意のようなものを、今に至るまでずっと忘れられないでいる。それは日本の中ではマイノリティの彼らが持つ「民族意識」という言葉で簡単に片づけられるものではないような気もするが、はっきりしたことは僕にはよくわからない。

 

この話には後日談があって、それから5、6年後に彼らのうちの何人かと再会したことがある。僕が学生時代にバイトしていた飲食店で結婚式の二次会が開かれたときに、客として彼らが現れたのだ。新郎新婦が2人とも朝鮮学校の卒業生で、彼らは新郎の友人として会に出席していた。もうラグビーはやってないと言っていた彼らは、僕が知っている頃よりも身体に脂肪がついてふっくらしていたし、酒に酔って目は充血していたが、何かきっかけがあればスイッチが入ってまたあのときの姿に戻るんだろうかと、久しぶりに再会した彼らを見ながら、そんなことを思った。